物の価値について【第1回】

2014.05.01

 皆さんは物の価値ってどのように思われますか。いくつかの事例を挙げて考えてみましょう。

【事例1】
 母の遺品でAさんがとても大切にしていた茶碗を友達が割ってしまいました。
友達は、「これで同じような物を買ってね!」と言って3000円を置いて帰っていきました。
この茶碗の由来は分かりませんが、いまでは母のことを思い出すことができるたった一つの品物でAさんにとってはかけがえのない品物でした。

【事例2】
 家族同然に可愛がっている愛犬ミッキーが散歩中に近所に住む大学生が運転する車にはねられ死んでしまいました。
それ以来、Bさんは、食事もできないほど落ち込んで、眠れない日が続いています。
事故の翌日、大学生の母親が菓子折を持って謝りに来ましたが、それだけでした。
ミッキーは4~5年前に道ばたに捨てられていた犬ですが、今では、Bさんの良き話し相手であり、たった一人の家族といえるような存在でした。

【事例3】
 Cさんは、20年以上前に作られたトヨタカローラという車を宝物のように大切に乗っていました。
ところが、先日、信号無視をしてきた車にぶつけられ、大破してしまいました。
修理業者に相談しましたが、今では修理に必要な部品もほとんどなく、元どおりに修理するには百万円もかかりますといわれてしまいました。


 事例のような問題が起こり、加害者に損害を賠償してもらいたくて法律相談したとしましょう。
そうすると、悲しいことですが、十中八九「裁判するだけ無駄ですよ。」と言われるのが落ちです。
ここで、「無駄」という意味は、形見の茶碗にしても、拾ってきたミッキーにしても、おそらく金銭に見積もると価値がないので賠償請求しても意味がないということでしょうし、カローラにしても、裁判では車の時価と修理代金のいずれか安い方が損害ということになりますので、20年物のカローラの時価は、せいぜい数万円というところでしょうから、修理代金としての100万円すら認められないことになる可能性が高いということなのです。
つまり、お金を遣って裁判をしてもなかなか報われないということです。

 どうしてそのようになるのかといえば、物の場合、少し壊れても修理すればいいし、普通はその修理代が損害ということになるのですが、その修理代が高額になるようなときや、ペットが死んでしまったときのように修復そのものができないようなときは、壊れた物の市場価値が損害とされてしまうからです。

 ということで、茶碗の場合、ガラクタ市で売られているような価格が損害ということになるでしょうし、ミッキーのような雑種の犬の場合には、財産的損害はないとされてしまいやすいのです。
以上のことからもお解りのとおり、物への個人的な愛着などは、物そのものの価値とは考えられていないのです。

【3回シリーズ(毎月1日頃掲載)】


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